さだまさしさんの1ファンが徒然なるままに綴る雑記です。
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『夏 長崎から THE FINAL』が終わり、一夜が明けた。
今でも未だ微かに昨日の興奮が残っている。夢を見ているかの如き時間であった。
長崎新聞・西日本新聞・毎日新聞の各紙に、コンサートの模様を伝える記事が掲載されていた。それぞれが独自の写真を用い、「平和」への思いを盛り込んだ文章の興味深い記事であったが、白眉はやはり長崎新聞の一面に掲載されていた、「長崎小夜曲」で舞台上のカメラマンと肩を組み踊りながら歌っている写真ではないかと思う。
一夜明けて思うのは、やはりさださんの「平和」と「故郷」に対する思いの深さである。
・・・・・・などと言うとあれこれと誤解をなさりたい向きがあるやも知れぬ故、一言だけ申し上げておこう。さださんは、このコンサート中に
「戦争反対!」
とアジることなどなさらぬ。むしろコンサート自体は非常にエンターテインメント性の高いもので、「さだまさし」を知らずとも楽しめるものであったし、お近くに席を占めておられた(お母さんに無理やり連れて来られたと思しき)お嬢さん方は
「さだまさしさんがこんなに穏やかだとは知らなかった。もっと恐い人だと思っていた」
と、いみじくも口に出すほどに優しく流れていくコンサートであった。出演者の言葉の中では、大竹しのぶさんの
「これだけのイベントをこれほどまでに続けて来られたさださんは凄い。これに付いて来たスタッフの皆さんも凄い。そして、観客席にいる皆さんも・・・・・・」
と仰った言葉が深く心に染みた。
・・・・・・もう報道もあったことであるし、言ってしまっても良いであろうか?
コンサート終演後、通常ならば見ることもあったであろう愁嘆場は無かったし、ましてや泣き出す方など皆無であった。さださんがあんなにハッキリと
「来年のこの日長崎で歌うことは無いけれど・・・・・・」
と仰ったにも拘らず、である。
それは、
「8月9日に広島で歌わないと俺の行は終わらない。来年は『夏 広島から』を演る」
という言葉に起因するものであると思われる。
もしも本当に『夏 広島から』が開催されるのであれば、恐らく私も当日は広島に居ることであろう。
今でも未だ微かに昨日の興奮が残っている。夢を見ているかの如き時間であった。
長崎新聞・西日本新聞・毎日新聞の各紙に、コンサートの模様を伝える記事が掲載されていた。それぞれが独自の写真を用い、「平和」への思いを盛り込んだ文章の興味深い記事であったが、白眉はやはり長崎新聞の一面に掲載されていた、「長崎小夜曲」で舞台上のカメラマンと肩を組み踊りながら歌っている写真ではないかと思う。
一夜明けて思うのは、やはりさださんの「平和」と「故郷」に対する思いの深さである。
・・・・・・などと言うとあれこれと誤解をなさりたい向きがあるやも知れぬ故、一言だけ申し上げておこう。さださんは、このコンサート中に
「戦争反対!」
とアジることなどなさらぬ。むしろコンサート自体は非常にエンターテインメント性の高いもので、「さだまさし」を知らずとも楽しめるものであったし、お近くに席を占めておられた(お母さんに無理やり連れて来られたと思しき)お嬢さん方は
「さだまさしさんがこんなに穏やかだとは知らなかった。もっと恐い人だと思っていた」
と、いみじくも口に出すほどに優しく流れていくコンサートであった。出演者の言葉の中では、大竹しのぶさんの
「これだけのイベントをこれほどまでに続けて来られたさださんは凄い。これに付いて来たスタッフの皆さんも凄い。そして、観客席にいる皆さんも・・・・・・」
と仰った言葉が深く心に染みた。
・・・・・・もう報道もあったことであるし、言ってしまっても良いであろうか?
コンサート終演後、通常ならば見ることもあったであろう愁嘆場は無かったし、ましてや泣き出す方など皆無であった。さださんがあんなにハッキリと
「来年のこの日長崎で歌うことは無いけれど・・・・・・」
と仰ったにも拘らず、である。
それは、
「8月9日に広島で歌わないと俺の行は終わらない。来年は『夏 広島から』を演る」
という言葉に起因するものであると思われる。
もしも本当に『夏 広島から』が開催されるのであれば、恐らく私も当日は広島に居ることであろう。
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無題
こちらでは久々のコメントです。
「さだまさしさんがこんなに穏やかだとは知らなかった。もっと恐い人だと思っていた」というのは、正直言って驚きました。昔のイメージはむしろ「こんなに熱い人だとは思わなかった」という方が近かったような気がします。時代を感じる。。。
続ける、ということは本当に凄いことだと思います。
そしてそれを一旦止めて、壊して、また新たに始めるというのは、それ以上に大変なことだと思います。
広島の夏も、暑いです。
何年か前、8月6日に広島の地に立っていたことがありました。その日その場所にいることの意味を感じながら。
さださんにとって「8月9日に広島で歌うこと」の意味を、来年daydreamerさんのレポで読めることを期待しています。
「さだまさしさんがこんなに穏やかだとは知らなかった。もっと恐い人だと思っていた」というのは、正直言って驚きました。昔のイメージはむしろ「こんなに熱い人だとは思わなかった」という方が近かったような気がします。時代を感じる。。。
続ける、ということは本当に凄いことだと思います。
そしてそれを一旦止めて、壊して、また新たに始めるというのは、それ以上に大変なことだと思います。
広島の夏も、暑いです。
何年か前、8月6日に広島の地に立っていたことがありました。その日その場所にいることの意味を感じながら。
さださんにとって「8月9日に広島で歌うこと」の意味を、来年daydreamerさんのレポで読めることを期待しています。